灰色の毎日

人生の敗残者が綴る日記。2023年から株のデイトレードを始めました。

空白の10年

 

今回は私自身について、もう少し掘り下げて書いていこうと思います。

 

 

私は16歳から26歳の間の10年間、自宅に引きこもっていました。

 

といっても、自室にずっと籠りっきりというわけではなく、たまに外出(月に1、2回)したりはしていたのでそこまで重度の引きこもりではないと思います。

 

私が引きこもり生活からの脱却を決意したのは、26歳の時。

体調不良を訴えていた父が病院に行ったところ、癌に冒されていることが発覚しました。それで手術のため入院することになったのですが……

 

「もし、父が死んだらどうしよう……」

この時、強い危機感を覚えました。

 

部屋に引きこもって現実逃避に耽っていた私は、これがきっかけで現実に引き戻されたのです。

 

いつまでもあると思うな親と金。

この言葉が胸に刺さりました。

 

「このままではいけない」

 

私は危機感に突き動かされるように、行動を開始しました。

 

 

10年間、昼夜逆転の堕落した生活を続けていたわけですが、さすがにそんなの状態のままでいきなり働くのは無謀だと思い、まずは朝起きて夜寝るという当たり前の生活スタイルに戻そうと私は生活習慣の改善を試みました。

 

これには苦労しました。

引きこもり生活中は深夜の4時とか5時までダラダラと起きていた私が、

「じゃあ、今日から夜の10時に寝よう」と決意して床に就くものの、これが全然眠れない。まあ、当然ですよね。

 

体を疲れさせれば眠れるんじゃないかと思い、昼間外に出て1~2時間くらいぶらぶらと散歩したり、また自室で音楽を聴きながらストレッチをしたり昇り降り運動をしたりして体を疲れさせようとしました。体力づくりや外出に慣れる意味もあります。

 

そして精神科で処方された睡眠薬の力も借りて、生活習慣の改善には成功しました。

 

ですが、それですぐに就職というわけにはいきませんでした。

まったく情けない話ですが、実際に働き始めたのは2年後、28歳になった時です。

 

なぜ2年も掛かってしまったのか?

理由はただ単純に怖かったから。 それに尽きます。

 

 

①電話の恐怖

 

タウンワークなどをチェックして、自分でもできそうな仕事をいくつかピックアップするも、応募の電話が掛けれない。

 

そもそも、どのような会話の流れで面接まで漕ぎつけるのかがわからない。

 

振り返ってみれば、私はこれまでの人生で自分から電話を掛けた経験が全く無かった。

 

電話って、どうしてこんなに怖いのでしょう。

私にとって電話とは恐怖の対象でしかありません。

引きこもりから復帰して何年も経ちましたが、未だに電話は怖いです。

掛けるのも、掛かってくるのも嫌です。この先も電話というものに慣れることは無いと思います。

 

 

②面接の恐怖

 

仮に電話して面接まで漕ぎつけたとします。

そしたら今度は、面接に持っていく履歴書を書かなければいけません。

 

社会復帰を目指すヒキニートの前に立ちはだかる壁。

履歴書、そして面接……。

 

10年も引きこもっていたわけですから、当然働いた経験などなく、履歴書の職歴を書く欄には何も書くことがありません。つまり以下のようになります。

 

学歴、高校中退。

職歴、なし。

以上。

 

私にとって履歴書とは、自分という人間が如何に惨めな存在であるかを示す書類に他ならない。

 

そんな書類を面接の際、提出しなければいけないという恐怖。

そして恥ずかしさ。みっともなさ。

 

面接官に、自分が『10年間も引きこもっていたダメ人間』だと知られるのがたまらなく恥ずかしかった。

面接で履歴書の空欄部分を突っ込まれたら、何と答えればいいのかもわからない。

開き直って、「実は10年間引きこもってました」なんて、自分からカミングアウトできたらどれだけ楽だろうと思いました。

でも、私にはそれができそうになかった。

 

 

 ③就労の恐怖

 

なんとか面接を乗り切って、その会社に採用されたとします。

 

問題は、10年ものブランクがあるこの私が、果たしてその会社で仕事を勤めあげることができるのかということ。

 

仕事をきちんと覚えられるのか? 仕事をこなせるのか?

体力に自信は無いけど大丈夫なのか?

そして職場の人間関係……。コミュ障の私が皆とうまくやっていけるのか?

 

すべてにおいて不安がつきまといます。

就労経験の無い私にとって、働くということは何が待ち受けてるかわからない未知の領域へ一歩踏み出すということ。

これが途方もなく怖いし、勇気がいる。

 

働く前から私は、『自分みたいな人間にはきっとどんな仕事も務まらない』と決めつけていました。

 

自分が働いている姿を想像できない。

 

想像できるのは仕事を覚えらなかったりミスしたりして、恥をかく自分の姿。

あるいは叱責されて落ち込む自分の姿。職場で孤立する自分の姿。

そんなネガティブなものばかり。

 

 

求人広告を眺めながら応募できずに悶々と過ごす日々がしばらく続きます。

 

そんなある時、引きこもりの社会復帰を支援する団体というか機関みたいなものがあると精神科の先生から聞きました。いわゆるサポステというやつです。

 

それで救いを求めるような気持ちで自宅から一番近くにあるサポステを訪れたのですが、これがヒキニートを脱出する大きな転機となりました。 

 

サポステで、様々な講座やグループワークなどに参加して社会復帰のための下準備を整えました。

応募電話の練習、履歴書の書き方、面接の練習、職場体験などなど。

 

いま振り返ってみると、26~28歳の間の2年は社会復帰のためのリハビリ期間のようなものでした。実際に働き始めるまで時間は掛かりましたが、この時間は決して無駄ではなかったと思います。

 

28歳の時、ハローワークで募集していたデパートの清掃の求人に応募し、無事採用されパートで働き始めました。

 

そして現在は派遣で働いています。

ヒキニート生活から脱出できましたが相変わらず実家暮らしの身分なので、自立したとはとても言えませんが、毎日死ぬことばかり考えていた引きこもり時代と比べ、心にゆとりがもてるようになりました。

仕事でへまをして怒られたり、落ち込むこともありますがそれでも何とか生きてます。

 

 

さて、書いているうちに長文になってしまったので今回はこれくらいにしておきます。

 

サポステで体験した様々なことや、緊張した面接の内容と清掃のパートについて。

そして、そもそもなぜ私は引きこもるようになったのか。

それらはまた追々、このブログに書いていくつもりです。

 

 

 読んで下さりありがとうございます。